南山進流声明の口訣書

声明などを学ぶとき、「口伝」(くでん)という言葉をよく耳にします。平安朝頃より言われるようになったものですが、書物を手に入れることの難しさと法を尊重するということの深さから、ものを教え教えられることを非常に重大なこととして考え「口伝」という方法が生れたとされます。今日になって、「口伝」と言われるほどたいしたことでもないことをそう言う箇所も実際にはあります。学問の権威と法の尊厳ということを考えてそういうことになったものと考えられます。
「口訣書」とは、そういった先徳の方々の教授を書き記したもので、その書物を拝借したり書き写すということが命がけであったという数々の記録があるほど大変なことでありました。
しかし、声明とは“声”の伝授であるために、今日のようなテープとかCDとかいう録音機器もなく次第にその純粋さが見失われていきました。そのような中で、かえって「口伝」というような難しさがマイナスとなって、伝写の間の誤脱をそのまま信じ用いなければならなかったのです。もっとも、現在テープやCDによって師の音声を録音し、それを聞いて学習するという方法は最も危険な方法でありますが・・・
いずれにしても、今日伝えられている声明の「口訣集」は、そのまま信用できるものとはいえず、慎重な検討が必要となってきます。古いものよりも新しいものの方が信用に欠けてくるというのも不思議なことですが、数ある「口訣集」の中で内容が確実であるといわれている書は以上であります。

1、音律菁花集
大進上人から五代先の弟子玄慶師が、その師である宗源上人の口伝をもととして記されたもの 正応二年(1289)

2、音曲秘要鈔
東大寺 凝然(ぎょうぜん)大徳の著 正和二年(1313) 

3、声決書
覚証院 隆然師から四代先の弟子 慈鏡(じきょう)が応永三年(1396)八月に西方寺にて著した 西方寺において重円阿闍梨が夏安居を修し、そのことについて談合があり、その間のことを記して声決書と名付けた  応永三年(1396) 

4、忠我記
河内円満寺の忠我法印が記したもの 忠我法印の声明の伝承は相応院流であるので直接南山進流の楽典とはいえないが、音曲の研究に参考にするべきものが多く含まれているため、南山進流の学徒は競ってこれを伝写し重書としている  明応五年(1496) 

5、声苑綴錦
報恩院蘊善師の著述による 前後二巻からなる  享和二年(1802)

6、五音七声十二調子相対図解
半紙六枚ほどの小冊ではあるが、音律の正軌を弁ずる便覧として古い書物をまとめて図示したもの 証通師撰 証通師のことについては伝を明らかにしない  文政七年(1824)

以上でありますが、「口訣書」としてはこの他にもたくさんあります。その中でも、ここに挙げたものは古来より秘書として尊重されてきたものです。


戻る